メニュー 糖尿病が軽快してきた << 

第2回 糖尿病、発病

 >> 病院の対応にブチ切れる

さて、前回は現在の私の状況を簡単にお話ししましたが、まずは糖尿病と診断された時まで遡ってみましょう。やはり来歴を語らずに今だけをお話ししたのでは片手落ちだと思います。お退屈かもしれませんが、できるだけ簡単にまとめますのでどうか1〜2回お付き合い下さい。

それは今からおよそ15年前、私が40歳になる年の春の健康診断でした。関西在住の私は当時産業用電気機械の設計技師をしており、いわゆる下請け中小企業に勤務しておりました。元請け企業の設計室にも頻繁に入り込んで仕事をするような関係でしたので、阪神淡路大震災の復興の時には一生分働いたんじゃないかと思うほどたくさんの仕事をしました。

復興関連予算が動いていた2年間ぐらいの間、設計部門は真っ先に動く部署ですから、震災からおよそ1年半の間文字通り夜の目も見ずに仕事した記憶があります。今でいえばブラック企業呼ばわりされるかもしれませんね、年間の時間外労働時間が2500時間を少し超えてました。幸いなことに時間外手当はしっかり支払われましたが、本給より時間外の方がずっと高額になると言う恐ろしい状況です。

それでも365日土日祝完全出勤で一日5時間残業くらいのペースでしたから、なんとか一年半は持ったのだと思います。30代後半と若かったですし、何と言っても阪神地区を復興させるんだと言う意気込みみたいなものもありましたしね。

何とか仕事が落ち着いてきたのは震災の翌年秋ごろだったと思います。そしてその翌年の春の健康診断で尿糖の強陽性を指摘され病院へ。病院での検査数値はよく覚えていませんが、多分空腹時血糖で200mg/dl前後、HbA1c(JDS値:現在使用されるNGSP値より0.4%低い数値になります。)は7%を超えていたと思います。

当時の私のスペックは身長175cm、体重は80kgを少し超えていたと思います。すでに他界しておりましたが父方の祖母も父も糖尿病を持っていたようで、どうやら遺伝的要素は父から引き継いでしまったようです。

そして発病の引き金となったのはやはり過体重、そして喫煙でしょう。もともと煙草も吸いましたしやや太めの体重でしたが、この震災の時の過重労働の際にうんと太りましたし煙草もセブンスターを一日4〜5箱吸うぐらいに量が増えちゃいました。設計屋と言うのは喫煙率と言うかヘビースモーカー率、高かったんです。私自身は震災関連の事業に振り回されるまでは一日2〜3箱でしたが、考えてみればそれでも十分ヘビーですよね。

煙草の方は糖尿病の治療とかそういうこととは関係なしに、2001年になんとなく「21世紀には必要のない過去の遺物だな。」って思ったのでやめちゃいました。それで止められるのならもっと早く禁煙しておけば小遣いが助かったのかもしれませんが、やはりきっかけと言うかけじめと言うか、日本人にはそういうファクターって重要だと感じます。

さて、そのように2型糖尿病の確定診断を受けて治療ということになったのですが、それは次の章でお話ししましょう。

次章:病院の対応にブチ切れる

 
rakuten profile

改版内容日付
△0初版公開2013-10-25
△1改版リスト追記2013-11-18