メニュー 糖尿病、発病 << 

第3回 病院の対応にブチ切れる

 >> 糖質制限との出会い

最初に糖尿病だと言う診断を受けた時ですが、やはり印象としては恥ずかしいと言う思いが強かったと思います。

今でこそ6人に一人とか国民病とか言われていますが、昭和30年代に生まれた私などは

糖尿病=贅沢病

と言う印象が強く、糖尿病と診断されることは極めて恥ずかしいことだと言うイメージを持っていました。今でもそうですが糖尿病は治らない病気であると言うイメージも強かったので診断された時にはずいぶんがっかりしたものです。

残念なことに、当時の正確な検査数値は手元に残っていません。あいまいな記憶ではありますが、空腹時血糖が200mg/dl、HbA1cが7%超くらいだったと思います。また、当時の私の体型は身長175cm、体重は80kgくらいでした。

確定診断を受けた後、病院では何回かに分けて栄養指導などを学習させられました。医師は体重を70kgに減らせと厳命。私は結構クソまじめにダイエットして1年後には70kgくらいまで体重を落としました。また、栄養指導に従って炭水化物が60%くらいで脂質を抑えた食事を摂っていたのです。

医師は薬も処方しました。αグルコシターゼ阻害薬です。これは糖質を消化吸収する最後の分解、二糖類を単糖類に分解する酵素の働きを邪魔することによって糖質の吸収を遅らせ血糖値の急上昇を防ぐ薬です。副作用としてお腹が張ったりおならが増えたりするということは言われていましたが、飲んでみると人前に出られる状態ではなくなるほど臭いおならが連発し、便秘と下痢、痛みを伴うお腹の張りなどで仕事することもままならなくなりました。医師にその旨を告げたところ、2〜3か月で症状は消えるからと我慢するよう言われましたが、結局その後も改善は見られなかったのです。

幸い、仕事も忙しい時期を過ぎてましたので時間と体調のやりくりで凌ぎましたが、正直寝ても覚めてもおならのことが頭から離れない状態と言うのは今でもトラウマになってます。(笑)

また、同時にインスリンの出をよくすると言うスルホニルウレア剤も処方され、おならの原因であったαグルコシターゼ阻害薬は中断しました。

当初、そうですね体重が減ってゆく過程においては血糖値やHbA1cは徐々に改善してゆきました。しかし、体重が安定したころ、ちょうど治療開始から一年ぐらいで血糖値とHbA1cは上昇に転じました。

毎月病院に出かけては微妙に上昇する検査結果を見るだけ。特にこれと言った治療もなく、途中で血糖を肝臓に取り込みやすくすると言うビグアナイド剤が導入された程度で8〜9年の歳月が過ぎました。

結局、いつも通りに出かけた病院で、

治療効果がないから入院してインスリンの自己注射を導入しましょう。

と宣告されたのです。現在では早期の自己注射導入でインスリン注射からの離脱を早めるなど、その利用の仕方が変わってきていますが、昔のイメージを持っていた私にとってインスリン注射の導入は糖尿病の末期と言うイメージが強かったのです。そのせいもあって、気楽にそういうことを言った医師に対して非常に怒りを覚え、入院もインスリン注射も拒否して帰宅しました。ある意味良い時代になったもので、帰宅してすぐにネットで情報を集めまくりました。そして糖質制限と言う言葉に出会ったのです。

次章:糖質制限との出会い。

 
rakuten profile

改版内容日付
△0初版公開2013-10-26
△1改版リスト追記2013-11-18